いびつさが止まらない和歌の仕事と生活
登場人物の誰もが、何かしらのいびつさを抱えて生きているようすが描かれた作品という印象だった。語り手である和歌は、とくに歪さが際立ってた。
その歪さがどこから来るのかと思って、つぶさに観察してみると「和歌は、世間との折り合いの付け方、自分との折り合いの付け方が極めてヘタクソなところに起因するのかも」と思えた。
学生時代から大好きだった仙太郎と同棲しても、仙太郎の子を身籠っても、書くという仕事を優先したいと思った和歌。それ自体は別にそれほど悪いことでは無いと思う。(子供ができたのに体調のことを考えず全力で仕事を続けるのはどうかと思うけど。)
ただ、食事はコンビニ弁当で済ませて、洗濯も掃除も彼氏に丸投げして、流産しちゃったことも忘れるくらい仕事に没頭するという生き方を選ぶのであれば、「書くこと以外すべてを失ってもしょうがない」くらいの思い切りと覚悟が必要。
それなのに和歌はというと、仙太郎を失いたくない、仙太郎にいい顔したいから洗濯も掃除も自分でやらなければいけない、という風に手放すことを恐れ、自分を追い込んでいってしまう。
なんて不器用な生き方なんだ、と思いつつ「和歌はダメダメな女」と切り捨てることができなかったりする僕がいる。ここまで強烈ではないけれど、誰もがこういった葛藤や歪さを多かれ少なかれ抱えて生きていると思うから。
と同時に、もう少し周りや自分自身と折り合いをつけるだけで、かなり楽に生きれそうなのに残念、とも思った。
仙太郎はできた人間だ
作中に出てくる内村仙太郎という人間は和歌と比較するとかなりできた人間だと思う。学生時代にアーティストとして脚光を浴びるも浮足立ちすぎることもなく、自分の立場が「バブルとともに消えゆく」可能性もちゃんと考えていたようだし。
和歌と同棲を始めた時も仙太郎はできた人間だった。昼は会社員をして夜執筆をする和歌のために、家事全般をきちんとこなしつつ自分の仕事もちゃんと終わらせるってスゴイことだと思う。
たぶん、仙太郎も和歌が情熱を持って仕事を取り組むことには賛成で、できる限り応援したいと思ってたはず。でも、あまりにも周りの事を見向きもせずガムシャラに仕事してしまう和歌に少しずつ違和感を感じていったんじゃないかな。
仙太郎が子供を作ろうとしたのも、子供ができればさすがの和歌も少しは変わってくれるかもなと期待してたからかもしれない。流産という結果が変わらなかったとしても、妊娠がわかってからの時間を和歌が「お腹の子のために」という気持ちで仕事もセーブして、赤ちゃん最優先で過ごしていれば仙太郎との関係は終わっていなかったと思う。
「あんたはおかしい」と母に言われ、「顔つきが、卑しくなったよ」と仙太郎に言われた和歌は可哀想だけど、自業自得でもある。
執着と諦観と
和歌の執着っぷりが強い印象の物語だったけど、ホントに色んな読み方ができる小説だなぁと思った。海外放浪から帰ってきて別れを切り出した仙太郎への和歌の詰め寄り方とか、音信不通になってから色んな書店に行って仙太郎の本を確認する行動とか、完全に恋人がストーカーに変貌していく過程を見るようだった。
何かを手に入れるとき、何かを諦めなきゃいけない。そんな当たり前のトレードオフについても考えさせられるものがあった。普段はあまり意識してないけど、人生って限られた時間しか残っていなくて、確実にいつかは終わる。死ぬまでに食べる晩御飯の回数も有限だし、順調に往生してもせいぜい数万回しかない。
今晩何かを食べるということは、それ以外の何かを食べないということになる。と、そんな風にいちいち考えてたら、めんどくさくて生きていけなくなるけど、本質的にはそういう側面も持ってるのも事実。
執着と諦観、どちらかに偏り過ぎることなく中道をいきたいと改めて思った。
私のなかの彼女
文庫: 394ページ
出版社: 新潮社 (2016/4/28)
言語: 日本語
ISBN-10: 4101058326
ISBN-13: 978-4101058320
発売日: 2016/4/28
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